2007.10月 File.04

●今週の鳥肌店

浅草
「どぜう飯田屋」

●今週のおすすめ

門前仲町
[釜めし むつみ]
[インドカリー夢屋]

●今週の裏メニュー

「太って出直します」

 

 

 


イラスト: 青木健

あるイタメシ屋の主人は、僕の友人である。彼は当時、 120 キロほどの体重があった。

「なんていうかな、自分の体型を眺めるたびに、これじゃダメだな、なんて思い始めちゃってさ」

僕も仲間も、彼が太っていることになんの違和感もなく、むしろホンワカとして、優しいしゃべり方に非常に好感を抱いていたのだ。でも彼は奮起して、しばらく店を休業し、どこかの田舎の断食道場など、地方を転々としながらダイエットに励んだそうなのだ。

「小野ちゃん、Nの店再開したらんだけど、Nじゃなくなったんだよ」
と友人に誘われ、彼の店を半年振りに訪れたら、厨房の奥に見たことのない店主らしき人物、
「やあ、久しぶりだね」

その彼がNだった。

「誰だかさっぱりわからないよ、一体何キロ痩せたの?」
「いま 70 キロだから、 50 キロばかり痩せたんだ」

あのホンワカとしたキャラクターはまるで薄れギスギスとした雰囲気になり、優しいしゃべり方が、どうもオカマチックに響き、なんていうか、嫌味な感じさえするのだ。普段どおり、パスタやメインデッシュを食べると、これが味にパンチがなくなっている。味覚が変わったのだろうか? それとも無意識に油分、塩分を控えめにするようになってしまったのか?

その日はダイエットの話で花が咲き、店を後にしたのだが、家に帰ってから、どうもNの雰囲気にシックリこない自分に気がついていた。

ある日、共通の友人数人と、恵比寿のショットバーで話をする機会があったのだが、
「なー、N変じゃない?」
「えっ、お前もそう思った。俺もなんか違和感があるんだよね」
「アタシも太っていた彼の方がよかったような気がするんだけど……」

みな同じことを感じていたのだ。その後噂では、Nの店が左前になっていることを知らされた。それも彼は妻子持ちにも関わらず、客の人妻と出来てしまい、所謂ダブル不倫、今の女房と真剣に別れようと考えているそうなのだ。

「店も従業員に任せることが多いらしくてさ、それも出勤する日に必ず遅刻してくるなんて話聞いたよ」
友人一同、彼と店を立ち直らせるべく現在思案している最中である。

変な話。三島由紀夫が貧弱な体を改造するためにジムに通い、「盾の会」を開くころ、彼の肉体はマッチョに変貌し、何かの観念に固執しだした……、なんていう話を聞いたことがあるけど、元々三島の場合はそういう資質だったような気がする。

僕も体重が 50 数キロしかなかったころ、非常に疲れやすい体質だった。体、特に腹回りに贅肉が程よくつく年頃になったころ、あの独特な気だるさが、まるでなくなったことがある。

学生のころ 1 つ先輩で、Nと同様 100 キロ前後の女性がいた。夏休みを終えた授業のとき見たことのない綺麗な女性が、教室に座っていた。
「あの彼女誰?」
「M先輩だよ」
「ええ!」

間もなく彼女は大学を中退してしまった。噂では、男が出来て水商売の道に転進してしまったと聞いた。太っていた頃も「この人痩せたら相当綺麗になるな」という印象の彼女だった。痩せたことにより、男がたくさん寄ってきたのだろう。そして今までもてなかった自分の過去を取り戻すかのように、男にのめり込んで行った結果が、退学だったような気がする。

体型が変わると、肉体の生理的変化もあるだろうし、当然精神的な変貌もあるのではないか。Nの場合、そんな両方が伴った結果だったのだろうか。彼は痩せたことにより、フレンドリーな雰囲気がギスギスとしてしまい、また料理人としての味覚が変わってしまった。太っていることに劣等感を抱いていた彼はそれが解消され、すべての過去を洗い流すかのように、糟糠の妻を見捨て、子供をないがしろにし、目の前に現れた今まで見向きもしてくれなかった女性が現れ、それに溺れて行ったのではないか。僕から見ても彼は女性に対しては経験不足だった。彼が怪我をする前に何とかしてあげなければならない。

「彼にもう一度太るように説得しようぜ」
「太って出直せってことか……」
「たぶん元の体型に戻れば、料理の味も、考え方も、雰囲気も元通りになるような気がするんだけどな」
「ホントにそんなことで解決する問題なのかしら」

世の中どこで道を誤るかわからないのだ。