年末特別企画
2007.12月 File.01

 

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photo by Shigeo Kikuchi

すべては桂花からはじまった

小野員裕(おの かずひろ)
1959年、北海道に生まれ、東京で育つ。文筆家、出張コック、フードプロデューサー。横濱カレーミュージアム初代名誉館長。 鉄の胃袋を武器に放浪先の大衆食堂、大衆酒場に足繁く出入りするかたわら、カレー伝道者としてカレーの醍醐味についての 布教を地道に続けている。著書に『東京カレー食べつくしガイド104/380店』(講談社)、『週末はカレー日和』(ぴいぷる社)、 『週末は鍋奉行レシピで』(創森社)、『立ち飲み酒』(共同執筆、創森社)、『魂のラーメン』(プレジデンド社)、『ラーメンのある町へ』 (新潮社)、『カレー放浪記』(創森社)など

小野:今日はよろしくお願いします。年齢的には僕らは近いんだよね ?

北島:僕は 44 歳です。

立石:僕は北島さんの1歳下ですね。

小野:じゃあ強引に同世代ということで ( 笑 ) 。それぞれにラーメンを食べ歩いてきたわけだけど、キッカケってなんだった ?

北島:僕は広島県出身なんです。

小野:じゃあ、尾道ラーメンが原点と言っていいのかな ?

北島:いえ、違います。僕は広島市に住んでいたので、豚骨醤油か醤油ラーメンを食べてましたね。でも、当時は週に1回とか月に2回、それぐらいの頻度でしか口にしていませんでした。有名店もあったんですが、わざわざそこに食べに行くという感覚もありませんでしたね。

立石:自分で稼いでいないと、お小遣いもそんなにありませんしね。

小野:取材で広島に行った時、「おいしいラーメン屋さんを教えてください」と市役所の観光課に電話したんだけど、「ええ ? ラーメン屋……。おいしいお好み焼き屋ならいくらでもあるんだけどねぇ」って ( 笑 ) 。あまり広島の人はラーメンを意識していないのかなと思った覚えがある。

北島: ( 笑 ) 札幌・喜多方・福岡なんかは別として、「ご当地ラーメン」という意識がない地域は、広島に限らず多いのかもしれません。そういった環境で育った僕が、大学進学で東京に出てきて初めて九州ラーメンを食べたんです。これがじつに衝撃的で。

立石:どこのお店ですか ?

北島:もう閉店した渋谷の ふくちゃん

立石:具が入れ放題のお店ですよね。

北島:そうそう。「替え玉、すげぇ」「替え肉、すげぇ ! 」「具入れ放題、すげぇ ! !」って。今考えれば、替え玉以外は全然九州ラーメンとは関係ないんだけど ( 笑 ) 、とにかく豚骨ラーメンはすごいと思いました。

小野:そこからラーメンの食べ歩きに目覚めたの ?

北島:違います。僕は元祖秋葉原青年で、よく遊びに行っていたんです。当時はメイドもアニメも同人誌もなく、硬派な電気街だったんですが、いくつかラーメン店があったんですね。もともと麺類は好きだったので、「それぞれ食べ比べてみようかな〜」と軽い気持ちでいくつかお店をまわってみたんです。そうしたら、 九州じゃんがららぁめん でさらに衝撃を受けて。

小野:やっぱり豚骨なんだ。

北島:そうですね。でも決定的な出会いは 桂花 だったんです。僕は大学生当時、家から学校に行くために渋谷で乗り換えていたんですね。その渋谷に 桂花 がオープンしたんです。 ふくちゃん九州じゃんがららぁめん と、豚骨にハマりかけていたところに、あの「太肉麺(ターローメン)」ですよ。半年間、食べつづけましたね。

小野:結構クセがあると思うんだけど、平気だったんだ。

北島:僕は父親が佐賀県出身なので、DNAに豚骨ラーメンが刻まれていたのかもしれません ( 笑 ) 。当時は「太肉麺」が 750 円だったんですけど、食事の単位が「1太肉麺」でしたからね。「太肉麺」よりも高いか安いか、旨いかマズイかが基準になっていました。

立石:どれぐらい通ってたんですか ?

北島:渋谷店をメインに、最高では年間 300 杯食べました。他のメニューも試してみましたけど、やっぱり「太肉麺」が最高だと。

小野:それはすごい。

北島:自分でもバカだと思います ( 笑 ) 。友達に「渋谷だったら 喜楽 の方が美味しいよ」と言われても、太肉もないし、茎ワカメもないし、豚骨スープじゃないし……と。他の店を評価する気もなくて。でも、大学を卒業する前後に文藝春秋からラーメン本が出たんです。

小野:『ベストオブラーメン』 ?  僕も持ってる。

立石:僕もです。

小野:あの本は写真の撮り方が斬新だったよね。真上から俯瞰で撮影したラーメンを実物大で掲載していて。

北島:これに 桂花 が載っていて すごく誉めていたんですね。嬉しかったし「信用できるな」と思って、掲載されているほかのお店も試してみようと。

小野:あの本に載っている店は全部美味しかった。

北島:僕が主に使っていたのは、携帯用の文庫版です。比較的外を飛び回る職種に就いたので、外出先近くのお店をチェックしては行ってました。そうやって食べ歩く範囲を広げていくにつれて、どんどん面白くなって。インターネットの前身、パソコン通信で知り合った方たちとの交流や情報交換も大きかったですね。そのおかげで、『テレビチャンピオン』の“ラーメン王選手権”にも出場できたわけですから。

小学生で店を指名食い!

北島秀一(きたじましゅういち)
日本ラーメン協会副会長。1963年広島県生まれ。進学のため上京後にラーメンに 開眼。サラリーマン時代は外回り、地方出張の機会を見つけてはラーメンを食べ 歩く。「TVチャンピオン第三回ラーメン王選手権」準優勝後、1999年に「新横浜 ラーメン博物館」に転職し、主に広報・企画・情報発信を担当。2003年独立後は フリーのラーメンジャーナリストとして活動中。また携帯情報サイト「超らーめ んナビ」では「達人」として情報発信中。

立石:僕は福岡市出身なので、北島さんとは対照的に、小さな頃からラーメンには親しんでましたね。両親の実家が久留米市で、月に1回ぐらい家族で遊びに行ってたんです。そのたびに、ラーメンを食べていて。 丸幸ラーメンセンター 丸星ラーメン が入り口ですかね。何軒も知っているわけではなかったんですが、そのうちに自分の好みが分かってきて、小学生の頃から「ここで食べたい」「ここがいいよ」とお店を指名してました。

小野:素晴らしい環境だね。

立石:福岡は東京に比べてラーメンの単価が安いんです。 勝龍軒 は1杯 100 円ですし、 元祖長浜屋 も僕が行っていたころは 250 円。お金のない学生にはありがたいかぎりで、週に3、4回は通ってましたね。大学も福岡だったので、タウン誌のラーメン特集を参考に食べ歩いたり、文化人類学のレポートで九州ラーメンのルーツを研究して提出したりしてましたよ。

北島: ( 笑 )

立石:就職で東京に出てきたんですが、やっぱり豚骨ラーメンがないことに不満を持ちましたよね。さっき北島さんのお話に出てきた ふくちゃん も「これは違うバイ ! 」と。

小野・北島:(爆笑)

立石:「なんで旨いラーメンがないとかいね〜」と思ってました。でもすぐに会社を辞めてしまったので、1杯 290 円になる「ふくちゃんデー」にはずいぶん助けられました ( 笑 ) 。具の入れ放題も、それはそれで楽しめましたし。

北島:同じ味でもやっぱり印象は違うもんだね。

立石:そのあとに雑誌の編集プロダクションに入って。先輩に何度か有名店にも連れていってもらったんですが、あまり興味を持てなかったんですよね。

小野:おそらく九州出身の人には、ほかの味のラーメンは馴染みづらいよね。

立石:そんな時、三田の ラーメン二郎 の行列に出会ったんです。「これはなんだろう ? 」と思って、並んでみました。いざお店に入ってみると、みんな変な呪文を言うんですよ。「ダイ・ダイ・ショウ」とか「ヤサイ・ニンニク・カラメ」とか。

北島:あの注文方法は初心者には難しい。

立石:若かったので隣の人に聞いたり、間違ったりするのが恥ずかしかったんですよね。とりあえず聞きかじりで「ダイ・ヤサイ・ニンニク・カラメ」と。

小野:初めてで食べるもんじゃないよね ( 笑 ) 。

立石:でも美味しかった。しばらくは“ラーメン”ではなく、“ ラーメン二郎三田本店 ”にはまりました。週に3、4回は通っていましたね。そうすると、日々の味のブレが分かってくるんですよ。そこがまた面白くって。やがて『 dancyu 』や『ぴあ』のラーメン特集を読むようになるんですが、せっかく東京に出てきたんだから、「豚骨だけがラーメンだ」という考えはやめようと思ったんです。

小野:そこで脱皮したんだ。当時は九州系のラーメンといえば N が有名だったけど、本場出身の立石君はどう思ってたの ?

立石:美味しかったですけど、値段を考えるとな……という感覚でした。

北島:そんなに高かったっけ ?

立石: 600 円か 700 円ぐらい。当時、 ラーメン二郎 の「ラーメン」は 270 円ぐらいでしたし、自分の中には福岡の価格設定の感覚があったので。だったら 二郎 や雑誌に載っている店を1店1店まわった方が楽しいなと。北島さんと同じように、僕もパソコン通信をしていたんですよ。 ラーメン二郎 の掲示板や大崎裕史さんが主宰されている『東京のラーメン屋さん』サイトで情報交換していくうちに、さらにいろんなお店を知って食べ歩くようになりました。北島さんが出場された『テレビチャンピオン』もその頃に観ましたね。しばらくして北島さんに実際にお会いした時「テレビのまんまだ〜」と思いましたよ。

北島:そうだったんだ。僕は「不思議な人だな」と思ったけど ( 笑 ) 。

立石:その後、同じ『テレビチャンピオン』の“第5回ラーメン王選手権”に出場して運良く優勝できたんです。

共通原点はコッテリ系

立石憲司(たていしけんじ)
1964年、豚骨ラーメンの本場、福岡県生まれる。 小学2年生の頃より、博多や久留米のラーメンの指名食いしていた。 学生時代は社会学のゼミで福岡県のラーメンに関するレポートを提出するほどのラーメン好き。 上京後、豚骨以外のラーメンに出会い、バリエーションの豊富さに驚き、さらにラーメンにのめり込み始める。 1999年1月に放映された「TVチャンピオン」(テレビ東京)の「第5回ラーメン王選手権」で優勝。以後、雑誌やテレビで活躍中。

小野:僕の原点は2店あるんだよ。1つは上板橋の 蒙古タンメン中本 。先代のオヤジさんの時代、当時は 中本 だったけど。

北島:いいなぁ、食べたかったなぁ。

小野:最初に食べた時、本当に驚いたんだよね。「なんだ、このラーメン ! ?」って。でも食べるとどんどん病みつきになってしまった。

立石:それは何に驚いたんですか ?

小野:まずは辛さだよね。「北極ラーメン」なんて、最初は辛くて食べられなかった。でも「味噌タンメン」とかで舌が慣れてくると、この店独特の旨さが分かってきた。それからは食い倒したね。もう1店は通っていた高校の近くにあった、中板橋の 土佐っ子ラーメン

北島:今はなくなってしまいましたけどね。

小野:あそこも最初は驚いた。店に入った時、寸胴鍋に丸鶏が入っていてモミジの部分だけがはみ出していたんだよね。今は見慣れてるけど、当時はぎょっとしてさぁ。でも食べてみたら旨いのなんの。部活が終わったら必ず行って食べてたね。

立石:あそこはすごかったですよ。

小野:元祖行列店のようなもんだね。

北島:背脂がもう雨アラレというか、冬の富士山というか……。網の上から背脂をかける通常のラーメン店が「チャッ、チャッ」ぐらいだったら、「チャッチャッチャッチャッチャッチャッチャッチャッ」ぐらい ( 笑 ) 。

小野: ( 笑 ) 中に漂っている空気も脂なんだよね。食べた後に髪の毛を触ると、ツルッと滑る。

立石:お話を聞いていると、3人とも最初にハマッたラーメンはコッテリ系ですね。

北島:あの頃のコッテリ系のインパクトはすごかったから。

小野:食べ歩く時、同じ傾向の味を求めている部分はある ?

北島:まったくないです。

立石:僕もですね。コレクターのような感覚で、新しい味と出会えた方が楽しい。

北島:ただ、似た傾向のラーメンに当たると、途端に評価が甘くなります。

小野:それはあるね。

北島:たとえ雑に作っていようと、化学調味料が山盛りだろうと、嬉しくなりますよね。「誰が何と言おうと、俺は見守っていくからね」って思っちゃいます ( 笑 ) 。

 


: 店舗DATA :

【九州じゃんがららぁめん秋葉原本店】
東京都千代田区外神田 3-11-6
03-3251-4059

【桂花 渋谷センター街店】
東京都渋谷区宇田川町 27-1
03-3462-5231

【喜楽】
東京都渋谷区 道玄坂 2 - 17 - 6
03-3461-2032

【 丸幸ラーメンセンター  久留米原古賀店】
福岡県久留米市原古賀町 26-3
0942-40-3737

【丸星ラーメン】
福岡県久留米市高野 2-7-27
0942-33-6440

【勝龍軒】
福岡県福岡市南区野間 1-6-9
092-562-0107

【元祖長浜屋 本店】
福岡県福岡市中央区長浜 2-5-19
092-781-0723

【ラーメン二郎 三田本店】
東京都港区三田 2-16-4
電話非公開

【蒙古タンメン中本 上板橋本店】
東京都板橋区桜川 3-5-1
03-5398-1233