正しい飲み屋というものを知ったのは、この「路傍」が始まりだった。
27歳の小僧の頃、この店の怪しげで大人びた雰囲気の暖簾をくぐることが出来たのは、いい店を見極める資質が僕に 備わっていたからではないかと、手前味噌ながら思っている。小銭しかない二十代なんて、酒の味や肴の美味しさは二の次で、 大量に酒が飲めて、ボリュームのある安価な料理さえ提供してもらえればいい年頃。だから大手資本のチェーン居酒屋で若僧は 飲んだくれているのだ。でも僕は、当時から若干、老成化していたのかもしれない。
「路傍」はかつて先代が営んでいた頃、文人墨客が多く出入りし、その名残が、店の造り、古びた調度品の隅々に垣間見ることが できる。現在は二代目のご夫婦で切り盛りされている。
僕は聞きたくもない、または趣味の合わないBGMが流れている店は若い頃から嫌いだった。だから音楽がかかっていない店を、 無意識に探していたのだろうと思われる。この店にはBGMはない。故に静かでいいが、時として手持ち無沙汰になるものだ。 でもここでは、客たちが交わす会話の中に溶け込むことで、その危惧は救われる。
酒は広島の千福の樽と本醸造、ビール、ウイスキーだけ、焼酎は置いていない。腹にたまるような肴はあまりないけど、 女将の和栄さんのこしらえる素朴な料理は余計な小細工がされていなく実に旨い。また主人の論理的な会話も味わい深い。 テーブル席はなく、こぢんまりとした店内は8席のカウンターのみ、そのコーナーに30センチ四方の炉が切ってあり、炭火で炙られる ウルメイワシ、シシャモ、テーブルに並ぶ根菜のおひたしなどをつまみに、日本酒を傾けるのがグっとくる。小腹が空いてりゃ餅の 磯部焼き、今の時期ならねぎま鍋をつつけば、質実質素な贅沢に酔いしれることができるだろう。
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「正しい」飲み屋は居心地がいい。ついつい、「枡酒」( \800 )もすすむ。 | 具沢山の「ねぎま鍋」( \1500 )。身体の芯からあたためてくれる。 |
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目の前の炉で焼かれた「うるめいわし」( \500 )は味わいも格別。 | 「きみの玉手箱」( \800 )の蓋を開ければ、蒸し焼きにされた山芋とうずらの玉子が。 |