2007.10月 File.02

●今週の鳥肌店

東武練馬
「大衆割烹 春日」

●今週のおすすめ

東武練馬
[棟梁]

●今週の裏メニュー

「記憶の中のハンバーガー」

 

 

 


イラスト: 青木健

東武東上線「東武練馬駅」は東京の人にとっても、あまり聞きなれない土地ではないだろうか。

地理的には板橋区と練馬区の丁度間に位置するところで、北口には、駅伝や書道家を輩出する大学として有名な「大東文化大学」や、 2000 年にオープンした 大型スーパーマーケット「板橋サティ」がランドマークとなっている。元々この「サティ」は東武練馬一の大地主、「大木伸銅工業」の工場跡地で、大木氏のご子息とは子供の頃遊んだことがあり、大谷石に囲まれた邸宅にお邪魔したとき、犬小屋が僕の家より大きかったことに、ショックを受けたものだった。

南口川越街道沿いには、 練馬区北町4丁目をすべて抱える、陸上自衛隊第一師団基地「練馬駐屯地」があり、ここに従事する人々が町の人口のかなりを占めている。また駐屯地の向かいに、 練馬ナンバーを取得する 「関東運輸局東京運輸支局練馬自動車検査登録事務所」、通称、「練馬陸運局」などもある。

近隣の「下赤塚駅」には、下村湖人著の教養小説『次郎物語』の舞台となった場所で、 曹洞宗万吉山「宝持寺」、通称 「松月院」には、著者の墓がある。

また「下赤塚駅」からほど近い田柄町界隈には、「日本陸軍成増飛行場」が、戦後米軍に接収され、米軍の住宅街「グラントハイツ」として姿を変え、 1973 年に全面返還された後、 1983 年に現在の「光が丘」に地名を変え、 現在に至っている。

かつて、その広大な米軍の住宅街「グラントハイツ」で戯れるアメリカ人の少年が憎くて、さんざん彼らと喧嘩をしたものだった。体格ではかなわないので、2B弾(発売禁止になった小さなダイナマイト?)や爆竹を投げつけ、彼らが鼻高々に疾走するマウンテンバイクの車輪に、木刀や鉄パイプ突き刺して転倒させて抵抗していた。それでよくMP(ミリタリーポリス)に追っかけ回され、逃げ切れなかった仲間は、豚箱で一夜を過ごすヤツもいた。

そうそう、 35 年前に銀座の「三越」で日本初の「マクドナルド」が誕生した頃、僕たちはすでに、この「グラントハイツ」でハンバーカーを食べていた。それは出入り許可を持っていた友人が、「ハロウィン」か何かのお祭りのとき、大量に持って帰ってきたものだった。三越で食べた「マック」より、遥かに美味しかったように記憶している。